大学入試の件でおもったこと

例の大学入試の件で思った事をひとつ。


突然だが、ハインラインの「宇宙の戦士」で、
厳しい新兵訓練(「フルメタルジャケット」みたいなやつ)で、ある新兵が鬼軍曹を殴ってしまうシーンがある。もちろんその新兵は懲罰を受ける羽目になるんだが、その直後、軍曹と軍曹の上官との会話のなかで、「彼(新兵)がこんなことになったのは、自分(軍曹)に隙があったせいだ。殴られる前に殴り倒しておけば、こんなふうにならなかった。隙があったのは、彼ら(新兵達)が熱心で気合いがあり、好感すらもっていたからだ」というくだりがある。
まあそもそもこの小説自体が議論を呼ぶ話であることは理解しているが、なぜかこの話を思い出した。


入試を軍隊教練と同一視するつもりはないのだが、運営する側の態度として、現状認識をもうちょっと考え直した方がいいのではないかと、そんなことを思った。


もちろん学問の府を性善説で運営していくのは大事だし、そうありたいと思っているが、それはあまりにも理想論というものだろう。
小規模な集団なら、性善説も成り立ちうると思う。受験者が30人とか、そのくらいなら、誰もそんなことをする気をおこさないはずだ。だが、ある一定の規模を越えると、そうではなくなってしまう。不思議なことに。なぜかはわからない。
だから、そこではむしろ、性善説よりも秩序、規律が優先されるべきだと思う。それほど人間はデキた者ばかりではない。もし、試験会場で運営側が、秩序を求めるのだとすれば、それなりの方法をとらないと、お互いの不幸になるだけのような気がする。今回のように。


ひとつの現実案として、殴る気さえ起こせなくさせる抑止力の方策をとるべきではないだろうか。(それでもそれを破ろうとする新兵はいるのだろうが…)
抑止力というのは、ひとつには、監視を増やすとか電波を遮断するとか、そういう手段はあるだろう。いわばイソップの「北風と太陽」の北風戦略。しかし、それもある一定の効果があるが、あまり幸せとはいえない。むしろ逆に、自分が考えたいのは、太陽戦略として、エニシング持ち込みOKにして、そのうえで解かせる思考力の試験にしてしまうとか…、いわば脱力化というか、無力化というか。そういう形の抑止力のほうが、みんな幸せになれるような気がする。学問で求められるのは、本当はそういった総合力だったりもするし。
そういうスマートな解決方法を、大学にはぜひ求めたい。日本の知性の集積点なのだから、きっといいアイデアがでると思う。


宇宙の戦士 (ハヤカワ文庫 SF (230))

宇宙の戦士 (ハヤカワ文庫 SF (230))